Pocket

日本を代表すると言っても過言ではない大女優の風吹ジュンさん。

いつまでも若々しくて美しいですよね。

今ではお母さん役のイメージが強い彼女ですが、若い頃はとてもかわいかったのです。

実はホステスをしていたという経験や、誘拐されたなんていう過去もお持ちのようです。

今回は風吹ジュンさんの過去の噂について検証していきます!

 

風吹ジュンの「若い頃・誘拐」の噂

銀座でも有名なクラブで働いていた風吹ジュンさんですが、実は若い頃に誘拐されたという噂があります。

一体どういうことなのでしょうか。

 

1974年9月12日夜、人気アイドル歌手・風吹ジュンが番組収録後、テレビ局の前で数名の男たちに

車で連れ去られる事件が起きた。通報を受けた警視庁はパトカー20台を出動させ高輪Pホテルへ保護に向かう。

スポンサーリンク

深夜、エレベーターを降りてきた風吹ジュンを保護。その場に一緒にいた暴力団関係者を連行した。

風吹ジュンの過去が暴き出され大スキャンダルとなる騒動の幕開けであった。

 

本当に若い頃に誘拐されたという過去があったようです!

恐ろしいですね。

しかも相手は反社会勢力だったようです。

 

風吹ジュンの「若い頃・誘拐」の理由

なぜ誘拐されてしまったのでしょうか。

 

当時の週刊誌によると、以前に所属していた事務所との移籍契約問題でのトラブル。

前事務所社員らとともにホテルに連行された風吹ジュンを待っていた者たちが反社会勢力。

そこで移籍契約の無効を告げられた風吹ジュンはとりあえず口頭で話を了承する。

深夜に解放され、前事務所社長ら一団とともにホテルのロビーに降りると、そこに警官隊が待機していた。

警察は暴力団関係者を連行したが、彼女の否定もあり誘拐は成立せずすぐに釈放となった。

このような経過のもと、この夜の騒動はとりあえず落着する。

 

風吹ジュンさんが誘拐されたのは、事務所とのトラブルが原因だったようですね。

遺跡を許されなかったのでしょう。

しかし、それにしてもやり方がちょっと乱暴だったような気もします。

当時まだ風吹ジュンさんも若かったので怖い思いをしたはずですよね。

 

風吹ジュンの「若い頃・誘拐」の裏にあった事情

移籍問題だけで若い頃の誘拐にまで発展するというのはちょっと大げさな気もしますよね。

もっと他にも事情があったのではないでしょうか。

 

8月まで所属していた事務所Aの給料などの待遇面で不満を持っていた風吹ジュンは、

作詞家Nの弟子を介し、事務所B社長を紹介され給料アップを条件に8月27日移籍に関する委任状を交わす。

翌28日、B社長が暴力団と関係するとリークした別の事務所Cの話に乗せられた風吹ジュン

Bと委任状を交わしたまま事務所Cとの契約を結んでしまう。

 

やはり、単なる移籍のトラブルだけではなかったようです。

風吹ジュンさんご自身が、複数の事務所と重複して契約していたことが問題だったことが判明しました。

 

複雑なる三重契約という失態。風吹ジュンは記者会見の席上で

「夜から明け方までしつこく言われたんです。とにかくハンコを捺せといって、契約書みたいなものに

手を取られて拇印を捺されたんです」と、事務所側の狡猾な手口を強調した。

しかし、契約時に録音された会話のテープが後に公開され、風吹ジュンが全てを承知の上で契約していた事が判明する。

 

清純派のアイドルとして売っていた風吹ジュンさんですが、そのイメージが覆るような行動でした。

そのために誘拐という大騒動にまで発展してしまったんですね。

 

風吹ジュンの「若い頃はホステス」

上記で述べたとおり、風吹ジュンさんは若い頃にホステスをしていたという過去があります。

ホステスとして、どんなところで働いていたのか、気になりますよね。

 

レストランなどで住み込みで働き始める。18歳で上京し、銀座の高級クラブに勤務、1971年クラブに在籍中にスカウトされる

 

風吹ジュンさんは18歳の時から銀座のクラブで働いていたようです!

しかも高級クラブということなので、その当時から美貌が目立っていたのでしょう。

 

デビュー前に銀座のミニクラブ「徳大寺」でホステスとして働いていた。

1971年クラブでスカウトされる。

72年 20歳の誕生日に「徳大寺」を退職している。

 

風吹ジュンさんがホステスとして働いていたクラブは「徳大寺」という名前のようです。

この徳大寺というクラブは、数多くの芸能人を輩出したことでも有名なんだとか。

 

風吹ジュンがホステスをしていたクラブ「徳大寺」とは?

スポンサーリンク

風吹ジュンさんがホステスとして働いれていたクラブは「徳大寺」という名前でした。

伝説のクラブとも呼ばれているようです。

 

長らく銀座の街を見守ってきた高橋や奥澤にとって、間違いなく“伝説の女帝”と呼べたのが、ミニクラブ「徳大寺」を切り盛りしていた徳大寺美瑠だ。現在は銀座と離れたところで暮らしているが、今回、隆盛を誇った70年代の店の様子を特別に語ってくれた。

 

「徳大寺」というのは当時のママの名字から取ったようですね。

 

「店は13坪と大きくはなかったけど、いつも女の子が27人ほどいて、お客さんが次から次へと来ている状態。ウチは決して高い料金じゃなかったけど、あの当時、現金だけで日に100万円の売り上げがあったし、これにカード払いや貸し売りも含めたら、もっと上だったわね」

 

1日の売り上げが100万円を超えることもあったようです。

大盛況ですね。

 

実際、風吹ジュンはこの店で20歳の誕生日を迎え、その日を最後に芸能界に羽ばたいてゆく。徳大寺は、芸能人養成を目指して店をオープンさせたわけではないが、客の熱意がそうさせたと言う。

 

風吹ジュンさんは20歳でこのお店を辞めたそうです。

クラブで勤務している時にスカウトされたということなので、お店の中でもそのかわいさが目立っていたのではないでしょうか。

その後の芸能界での活躍は目覚ましいものがありました。

 

風吹ジュンの「若い頃の歌」

風吹ジュンさんの若い頃の有名な話題として「歌」に関するものがありますね。

現在ではすっかり女優としての確固たる地位を確立していますが、元々はアイドルとしてデビューしていた為、歌をいくつか出していたようですね。

1974年デビューしたときは歌手でしたがヒットせず1年後に女優に転向。

歌手でデビューというより、女優に転身というより、アイドルが歌を出して女優も始めたカンジです
歌は売れずにやめてしまいましたが、歌手をやめてから演技を始めたわけではないです

現在の彼女は歌手ではなく女優であり、若い頃に少し歌も出したといったところでしょうか

若い頃に出していた歌はあまり売れなかったようですが、どんな歌を歌われていたのでしょうね。少し調べてみました!

恋のかけひき
ふたりの舗道
23才
私はかもめ
美しい冒険
別れたあとも
涙ひとつぶ
恋は不安
愛がはじまる時
夏のふれあい
涙に微笑みを
愛の雨音
古い日記
優しい関係
ロマンチスト
風に似た人

若い頃は歌があまり売れなかったというわりには結構な曲数は多めですね。

事務所からもかなり期待されていたという様子が伺えますね。女優のイメージが強いですから、若い頃に歌を歌っていたという印象はなかったですね。とても新鮮な印象ですね。

 

 

風吹ジュンは現在も可愛い過ぎる

誘拐騒動と、その裏で行なっていた行動が裏目に出てしばらくは芸能界からも姿を消した風吹ジュンさんですが、女優として渾身の演技を見せることで復帰します。

「蘇る金狼」という作品で松田優作さんと共演したのですが、その当時の風吹ジュンさんがすごいと話題になり、見事に復活を果たしました。

 

それでも、その後、美人女優として活動を始めた吹雪さんは

1979年の映画「蘇る金狼」で松田優作さんを相手に

見事な演技を披露して人気をよみがえらせたのです。

1992年には映画「無能の人」で日本アカデミー賞

優秀助演女優賞も獲得しました。

 

風吹ジュンさんといえばかわいらしい笑顔が魅力ですが、実はかなりの根性がある方なんですね。

風吹ジュンの若い頃の画像

若い頃の風吹ジュンさんの画像はこちらです。

清純派という感じで本当にかわいいです!

しかし、現在も可愛すぎると話題です。

60歳を超えているとは思えないほどにキュートですよね。

若い頃は様々な苦労をされた風吹ジュンさんですが、これからもその素敵な笑顔で活躍していってほしいですね!

まとめ

というわけで今回は風吹ジュンさんについて紹介していきました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

スポンサーリンク